みんながいう幸せって必ず条件がついている。仕事や勉強でうまくいったら幸せ、パートナーがいたら、お金がたくさんあったら幸せ、など分かりやすいものが基準になっている気がする。そしてみんな幸せになるために必死に頑張っている。時には周りの人間関係や自分の心身の健康をそこねてまで、幸せになろうとする。
私が最近感じたのはどんな時も、意外と幸せの総量は変わらないのではないだろうか。人はどんなにうまくいっている時でも心配事は必ずあるし、どんなにうまくいっていないように見える時でも、ちゃんとうまく動いていることはある。例えば会社で昇進した時や、受験で希望どおりの大学に受かった時。会社で上のポジションに行けばその分の責任も増えるし、理想の学校に入れた時も不安や心配事は多い。その時の達成した事実は自分の幸せを完成してくれると期待するが、結局その状態になれば、新たなストレスや不安だって生まれる、だから全てが自分の思う完璧になることはないだろう。
私の場合、試験期間にそれを感じた。たいていの人は試験期間中、多大なプレッシャーによってストレスを抱え、一刻も早く試験が終わって解放されたいと思う。実際終わったら、開放感と達成感でいっぱいになる。しかし、その中に虚無感を覚える人もいるだろう。わたしもそうだった。少し前に初めての大学の試験があってテスト勉強に追われる日々だった。難しい科目を勉強している時は本当に嫌になったし、かなりのストレスにさらされていた。しかし、その中でも一日の終わりに、図書館から帰る夜空を見て幸せとその日頑張った達成感を感じていた。不思議な感覚だった。テスト期間中にこんな気持ちなることは前までなかった。この時考えていたのは、テスト後の自分はきっとこの頑張った日々を懐かしく思い、忙しかった自分を羨むんだろうなんて。そう考えていたら、どんな時も平等に心配事や嬉しいことがあるのだと思った。だから今しか味わえない、その時々で違う種類の幸せを感じれるんじゃないのだろうか。